第四十二話 ベランダの母

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 第四十話「白猫天使」の話を聞かせてくれたFの娘が、まだ小学生のころの話。
 学校から帰ってくるなり、娘が言った。
「ママ、気づかなかったの? 手、振ったのに!」
 なんのことかと、Fは思った。
 Fの住まいはマンションの5階。娘は帰り道、部屋が見えてきたところで、Fがベランダにいるのを見つけた。こちらを向いているように見えたので大きく手を振ったが、ベランダの母はたたずんだまま、なんの反応もしなかったと言う。
 そんなはずはなかった。Fは部屋の中にいたのだから。
 結局、他のお宅と見間違えたのだろうということになった。

 それからしばらくして、同じマンションの住人から、妙な噂を聞いた。
「知ってる? ここ、火の玉が出るの。なんでも、子どもを探して、ふわふわ飛んでるんですって」
 誰それが見たという話。学校の怪談と同じで、マンションなどにもその手の話はあるのだろう。Fはそう思って、とくに気にも留めなかった。
 けれどその後に、駐車場の大家さんから聞いた話は、さすがに気になった。
「お宅、〇号室なんでしょ? あの部屋ね、以前、小さい子を残して、突然亡くなった若いお母さんがいたのよね。病死だそうだけど」
 Fはゾッとした。火の玉の話は……。いや、それよりも、娘が見間違えて手を振ったた相手は……。

 Fの家ではそれ以外、とくに怪現象らしきことは起きていないそうだ。なので、気にしないことにしている。「生きている人間の方が怖い(笑)」というのがFの持論なので、それはそれでいいのだと思う。
「でも普通、そういうこと、わざわざ住人に言う?」
 話し終えて、Fは最後に苦笑いした。 

 四十二本目の蝋燭、吹き消します。

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第四十一話 なんだ、霊か

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 猫の霊で、私もひとつ、自分の体験を思い出した。
 高校生の時だ。学校から帰り、自分の部屋に行こうとすると、階段の下に猫がいた。グレーっぽい、トラ柄の猫が、毛づくろいをしている。
 私はギョッとした。なんで猫が?
 猫は好きだが、飼っているわけでもない猫が家の中にいたら驚く。それに少し前に、知り合いの家に野良猫が入ってきてしまい、出そうとしたら逃げ回って、ひどく苦労したという話を聞いていた。
 どうしたらいいのかわからず、そのまま突っ立っていると、猫が私に気づいた。私を見て、ビクッと固まる。
 野良猫なら、ここでサッと逃げるだろう。だがその猫は、固まった状態のまま、すーっと消えていった。
「なんだ、霊か。びっくりしたー」
 それがその時の、私の感想だった。
 翌日、クラスメイトにその話をすると、「なんでそんな感想なの?」と驚かれた。
「だって本物の猫だったら、追い出すの大変じゃん」
 そう言う私に「そりゃまあ、そうだけどさぁ……」と、誰もが妙な顔をしていた。
 私にとって霊はそんなに怖いものではなく、その辺にいて当たり前くらいの感覚である。しょっちゅう見ていたわけではないけれど、「見えなくてもその辺にいるんだろう」くらいに思っていた。
 ところで、この猫の霊がいたのは、第六話「階段の足音」で書いた階段の下である。もしかすると実家のあの階段は、霊の通り道なのかもしれない。

 四十一本目の蝋燭、吹き消します。

 

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第四十話 白猫天使

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 犬の霊の話をしたら、「うちには猫の霊がいる」 と話してくれた知人がいる。
 Fは子どものころから猫との生活を続けているのだが、彼女の家には猫の霊がずっといると言う。もっとも、姿は見えず、気配だけなのだが。
 その気配は、飼い猫が息を引き取る少し前から現れる。

 子どものころ、Fは北海道で暮らしていた。暖炉のある家だった。暖炉の上には家族写真が飾られ、その中にトラ猫のミヨとFが写っている写真があった。Fの父はその写真を見ながら、ずっと昔に出逢った猫のことを、よく話してくれたそうだ。

 それはFの父が結婚する前の話だった。まっ白な子猫を拾ったそうだ。目が赤かったので、いわゆる白猫ではなく、アルビノであろう。彼はその子猫をとてもかわいがったのだが、残念なことに短命だったという。
「とても悲しかったなぁ。でもね、あの子は今もいるんだよ。見えないけど、いるんだよ」
 Fの父の話は、そう締めくくられる。

 時は流れ、Fには娘が生まれ、父が他界。北海道を離れ、今の家で暮らすようになるまでも、猫はいつもそばにいた。
 引っ越しの時、まりもという名の猫を飼っていた。まりもは病気を抱えていたので、環境の変化が心配だったそうだ。
 その気配を感じたのは、まりもに最期の時が近づいてきたころだった。キッチンと風呂場の境目あたりに、なにかいる。Fの娘も「影が横切ったのを見た」と言い出した。
 Fは、父の話を思い出した。まっ白な子猫。
——見えないけど、いるんだよ——
 きっとあの子が迎えにきたんだと、Fは思った。
「まだ連れて行っちゃダメよ」
 気配に向かってFは言ってみた。けれど、気配が消えることはなく、ほどなく、まりもは息を引き取った。

 Fの猫との生活は終わらない。それどころか、数匹の猫と暮らす生活をしている。
 むろん、お別れもある。
 三四郎、チビ、ふじこ……どの子のときも、キッチンと風呂場の境目に、あの子の気配があった。
 死期が近づくと現れる気配。なのに、嫌な感じはしない。
「天国まで迷子にならないように、迎えに来てくれているんだね……」
 FもFの娘も、そう思っているそうだ。
 その証拠になるかどうかわからないが、F家から旅だった猫たちは、15歳を越える長命だった。
 まっ白な猫天使は、ゆっくりと飛び立つようだ。

 四十本目の蝋燭、吹き消します。

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第三十九話 ひとつもらおうかと……

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 第三十八話のAが、25年以上前に体験した話である。
 その夜Aは、アパートの自室で、壁に背中を預け本を読んでいた。向かいにテレビがあったが、消してある。
 と、視界の端に動くものが入ってきた。白い、マルチーズのような小型犬だった。
 玄関も閉めたはずだし、窓も開けていない。「なぜ犬が?」と思っているところに、右手に別の気配を感じた。
 そちら側には押し入れがある。襖は閉めてあるが、その奥を覗うように、中年の男が立っていた。両手をポケットに入れ、上体を倒し、押し入れの下段辺りを、じっと見つめている。
 Aはぎょっとした。犬だって入ってくるはずない部屋に、なぜ見知らぬ男が、気配も感じさせずに入って来られたのか。
「な、何してるんですか!」
 なんとか声を出すと、男はそのままの姿勢で答えた。
「いや、ひとつふたつ、もらおうかと思って」
 何を? Aは思ったが、さっと頭に浮かんだのは、石だった。Aは鉱物が好きで、部屋に飾り切れない石は押し入れに入れてあった。そしてそこには、少し前に新潟県糸魚川市の海岸で拾ってきたヒスイもいくつか含まれていた。Aは咄嗟にヒスイのことだと思った。
「ダメですよ、そんなの!」
 恐怖を抑えて言うと、男の姿は消えてしまった。いつの間にか犬もいない。
 しばらく呆然としていたAだが、我に返り、押し入れにしまってある鉱物を確認してみたが、無くなったものはなかったそうだ。
 もし、石を譲っていたら、どうなったのか? それは今もわからない。

 三十九本目の蝋燭、吹き消します。

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第三十八話 犬の幽霊

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 ある霊能者がテレビで「動物の幽霊はいない」と言っていた。この世に思いを残しているから幽霊になるのであって、人間以外の動物にはそこまでの思いはないのだという。
 でも、それは本当だろうか? 第十九話「猫の死神」に書いたが、ドブ川に落ちたところを助けてやった猫は、私にとてもなついた。また第九話の「身代りの犬」では、まるで祖母の身代りになるかのように死んだ犬のことを書いた。
 こうしたことからも、動物にも「思い」があることはわかるのだけれど。

 つい先日の話である。
 AはTSUTAYAの書籍コーナーを歩いていた。すると、棚の影に小型犬がいるのを見かけた。
 Aは犬が嫌いなわけではないけれど、お店の中に、ケースに入れていない動物を連れて入るのはいかがなものかと思った。マナーの問題である。
 白黒のパピヨンだった。かわいがられているのだろう、知らない人たちが行き交う中でも、軽くしっぽを振っている。
 よく見れば、近くに飼い主らしき人はいない。リードもつけていない。
 そこでAは気づいた。この犬は幽霊だ。Aは何度か霊を見たことがあった。10年以上そうした体験はしてこなかったが、久しぶりに幽霊を見ているのだと思った。
 犬は、透けているわけではなかったけれど、気づいて見ると異質な感じがした。立体映像を見ているような感じがしたそうだ。
 私ならじっくり観察してしまい、もしかしたら近づいてみたかもしれない。けれどAは、ちょっと怖かったそうで、近づかず、買い物を済ませて帰ってきたという。
 このTUTAYAの前は、車通りの多い道路がある。犬が轢かれる事故があっても、おかしくはない。
 急な事故で自分が死んだことに気づかず、浮遊霊となるような話はよく聞く。飼い主と楽しい散歩中に轢かれてしまい、突然のことに死んだことに気づかず、お店の中を飼い主の姿を求めてさ迷っている犬の霊を、Aは見たのかもしれない。
 霊のことは、私にはわからない。私が言えるのは、動物にも心もあれば愛もあるということだけだ。

 蝋燭三十八本目、消します。

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第三十七話 会釈を返した母子

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「もう20年以上前の話だけど……」と、Sは語り始めた。
 当時、音響の仕事をしていたSは、地方公演のスタッフとして全国いたるところに飛び回っていた。中でも広島には何度も訪れたそうだ。
 ある時、いつもの宿が取れず、数名のスタッフがホテルに泊まることになった。Sは役者Oと相部屋になった。相部屋とは言っても、その部屋は6畳間がふたつあったので、ゆったりできると、少し嬉しかったそうだ。
 その夜、仕事が終わり、いったん部屋に引き上げたSは、強い眠気に襲われた。そんなに疲れたわけでもないのだが、知らず知らず疲れが溜まっていたのかもしれない。少し横になることにした。
 ふと気がつくと、隣の部屋から人の気配がした。隣とは襖で隔てられるようになっていたが、襖は開いていた。そこに、ふたりの人影があった。どうやら、女性と子供のようである。母子だろうか? ふたりは正座をしていて、Sの方に体を向けていた。相部屋のOは、まだ戻って来てはいないようだった。
 たまに、スタッフが部屋に客を呼ぶことがある。母子で訪れるとなると、この辺りに住むOの親戚か友人だろう。さすがに寝たままでいるのはまずいとSは思った。しかし、強い眠気のため、満足に目を開けることもつらい状態だ。
 ともかく軽く会釈をした。すると母子も、会釈を返した。それで安心して、Sは眠りに落ちた。
 翌朝、Oに「昨日、部屋に誰か呼んだ?」と尋ねたが、誰も呼んでいないし、部屋に戻ったときには寝ているS以外、誰もいなかったと言う。
 Sに会釈を返したあの母子は、いったい誰だったのか? それはわからないままである。

 三十七本目、吹き消します。

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第三十六話 曾祖母の添い寝

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 友人Aがまだ幼いころ、母方の曾祖母、つまりひいおばあさんが存命だった。高齢のため、多くを床で過ごしていたが、寝たきりというわけではなく、それなりに元気だったそうだ。
 ひいおばあさんは娘(Aのおばあさん)には厳しかったが、初孫であるAの母、そして初曾孫であるAを、とてもかわいがっていた。Aはおばあさんの家に行った夜は、ひいおばあさんの隣の部屋で寝ていた。AとAの母、そしてAの妹と、3人で床を並べてていたのだそうだ。襖を隔てた隣の部屋から、ひいおばあさんの子守歌が聞こえてきたと言うから、愛情の深さが伺える。無論Aも、そんなひいおばあさんが大好きだった。
 元気とは言っても、高齢である。Aと過ごす時間は、長くは続かない。ある日、大往生を遂げることとなる。
 ひいおばあさんが亡くなってからも、Aは母に連れられ、おばあさんの家にときどき泊まりに行っていた。
 ある夜、いつもの部屋で寝ていたAは、目を覚ました。けれど、体が動かない。苦しくはないが、ただ体が動かなかった。
 目は動かすことができるので、隣で寝ている母を見た。すると、母が寝ているはずのところに、ひいおばあさんが寝ていた――いや、母は確かにそこに寝ている。母とひいおばあさんが重なっているのだ。こちらを向いて寝息を立てる母に、白い靄のように透けて見えるひいおばあさんが重なっていた。
 けれどAは、少しも怖くなかったそうだ。
「あ、ひいおばあちゃんだ。ひいおばあちゃんが来たんだ」
 そう思っただけだった。
 Aのひいおばあさんが、溺愛した孫と曾孫に会いに来たのだろう。それは怪異と言うよりも、自然なことに思える。

 三十六本目の蝋燭を、吹き消します。

 

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