第十七話 幻の広場

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 私は生来の方向音痴で、子どものころ、何度迷子になったかわからない。そのころの話なので、はたして不思議なのかどうかもあやふやである。
 小学校低学年のころの話だ。家から少し行ったところに「地獄谷」と呼ばれる場所があった。無論、正式な名称ではない。今思い返せば、ちっとも地獄ではなかった。清水が湧き、小川の流れるところだ。小川の近くに生えていたのは葦だったろうか? ともかく、背の高い植物が、わりと広い範囲に茂っていた。小川を挟んで、葦の原の向こう側は雑木林の斜面。子どもたちはこの地獄谷で、ザリガニを釣ったり、カブトムシを獲ったりして遊んでいた。
 ある日、私はいつものように友達と地獄谷へ行った。長袖を着ていたので、秋だろうと思う。草原を掻き分け、雑木林を散策すると、金網があった。やんちゃな子どもとって金網は、乗り越える遊具でしかない。上に有刺鉄線が巻きついていようとも、器用に乗り越える。
 たぶん、何度か乗り越えたことのある金網だ。向こう側には、大きなクワガタがいそうな気がするのである。その日も乗り越えたのだが、そこは雑木林ではなく、乾いた土がむき出しの丘だった。子どもたちが斜面を、段ボールをお尻に敷いて滑っている。知った顔はなかったが、それは地獄谷では普通のことだ。三つの小学校の学区の境目に位置しているので、いっしょに行った子以外は、みんな知らない子である。なので、不思議にも思わず、その辺に落ちていた段ボールを拾い、滑って遊んだ。何度も何度も滑った。夕方になるまで、私たちは歓声と土埃を上げて滑った。
 数日後、そのときの友達と「またあそこへ行こう」ということになり、金網を乗り越えた。しかしそこは雑木林の続きで、土の丘には出なかった。何十人もの子供が遊んでいた丘なのに、探せども探せども、見つからない。雑木林は遊ぶには充分な広さだが、丘を見失うほど広大ではない。
 小さかった私たちは「見つけられなかった」ということで納得し、その日は諦めた。その後、何度か探してみたが、たどり着くことは二度となかった。
 子どものときには、そうした場所があるのかもしれない、と思うより他にない。

 十七本目の蝋燭、吹き消します。 

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