第二十二話 須佐神社の圧

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 今でこそ私は神社に興味を持ち、旅行に行った際にはまず現地の神社をお参りするけれど、それはまだ、ここ数年のことである。それまでは神社に対し、特に敬意を払うこともなかった。
 細々ではあるけれど、童話を書くことを生業にしている私は、日本の神話にも興味を抱いていた。数年前、「そうだ、出雲に行こう!」と思い立ち、にわかに古事記を読んで旅に出た。
 いくつもの神社を巡る旅で、最初に行ったのが八重垣神社だった。一応の礼儀として、ぎこちなく二礼二拍手一礼はした。ここで初めて、御朱印帳をいただいたのだが、この時の私はまだ、スタンプラリー感覚であった。
 旅行二日目。朝早くに起き、移動。この日はまず、須佐神社に行くことになっていた。出雲市駅からバスに小一時間ほど揺られ、須佐バス停下車。さらにタクシーで10分くらいか。ずいぶん山の中に来たという感じがする。
 須佐神社は、そう大きくはないが、静かなたたずまいに品が感じられた。須佐之男命(すさのおのみこと)が御祭神である。
 型通りのご挨拶を済ませ、観光気分で見て回る。と、急に胃が重くなった。まるで鉛の塊が突然胃の中に……いや、と言うより、内臓全体が重くなった感じか。それは須佐之男命に「お前は何者だ!? 何をしに来た!?」と、問い詰められているようだった。
 私はようやく、神社は「行く」のではなく「お参りする」のだと気づいた。私の無礼な心構えが、須佐之男命のご機嫌を損ねたのだろう。
 私はもう一度手を合わせ「たいへん失礼いたしました。九十九耕一と申します。神話の空気を感じようと出雲の神社を巡っております。不慣れなので作法や心構えなど、なってないことだらけですが、これからは心を込めてお参りさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」と、心の中で謝罪した。
 すると不思議なことに、体の内側に感じていた重みが、ふっと消えた。須佐之男命に
「おお、そうか。ならばゆっくりしていけ」とお許しをいただいたように感じた。
 私の神社に対する心構えが変わったのは、このときからである。近所の神社にも、お参りするようになった。
 旅行の後で知ったのだが、スピリチュアル系のとある本に「須佐神社は、須佐之男命の荒々しい気にあてられる人もいる」と書かれていた。まあ、それを真に受けるわけではないけれど、私はちょっと叱られてしまったわけだ。
 神社に限らず、人が大切にしている場所には、それなりの敬意は払うべきだと思う。

 二十二本目の蝋燭、吹き消します。

 

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