第三十一話 井戸の老婆
友人IとFが福岡に住んでいたころの話だから、10年ほど前だろうか。
暦の上では夏は過ぎたが、まだまだ暑い日のことである。ふたりは川沿いを車で移動していた。何度も通っている道だ。
突然、運転をしていたFが悲鳴を上げた。古井戸の手前である。
Iには見えなかったが、Fには見えた。古井戸から、老婆が出てきたのである。それだけでも異常だが、老婆の顔は、明らかに大きかった。そしてなにか叫んでいるようであった。
Fは何度か、この世の者でない人を見た経験があった。
「危ない! 引きずられる!」
咄嗟にそう感じたFは、老婆から視線を反らし、前だけを見ることに集中したそうだ。
お彼岸の中日には、地獄の蓋が開くと言う。水の近くには近寄るな、と言う人もある。
その日は、ちょうどお彼岸の中日だった。
三十一本目の蝋燭、吹き消します。