第三十四話 電話回線のドッペルゲンガー
「ドッペルゲンガー」とは、簡単に言えば「もうひとりの自分」である。「三回見ると死ぬ」などと囁かれることもあるが、真偽のほどは定かでない。
同僚Nは、過去2回、もうひとりの自分を感じたことがあると言う。「見た」のではなく、もうひとりのNは、電話の向こう側にいるらしい。直接話したことはなく、知人が、もうひとりの自分と話したのだそうだ。
一度目は、娘がまだ幼稚園に通っていたころだそうだ。ママ友のYはある日、N宅に電話をかけ、「娘さんと遊びにいらっしゃいよ」と声をかけたそうだ。Nは「じゃあ、2時に行くね」と答えたそうだ。しかし、約束の時間を過ぎてもNは来ない。夕方にもう一度電話をかけたが、留守だった。
翌日Yは、Nに直接「昨日はどうしたの?」と尋ねた。Nは面食らった。「なんのこと?」と問い、前日の経緯を聞いたのだ。Yが最初に電話をかけた時間、Nは確かに娘と共に自宅にいた。しかし、Nの記憶でも娘の記憶でも、電話は鳴っていなかった。ましてや受け答えなどしているはずがない。夕方は買い物に行ったので、留守だったかもしれないが。
「間違い電話しちゃったんじゃないの?」とNは言ったが、「いや、確かにあなたの声だった」とYは言うのだ。
ふたりは、狐につままれたような気持ちだったそうだ。
二度目は、娘が小学校に上がってからである。望んだことではないが、NはPTAの役員になった。
ある日、同じく役員のOが、Nに電話をかけた。
「急なんだけど、明日の1時に、役員で集まることになったの。来られる?」
Nは「うん、大丈夫よ。1時ね」と答えたそうだ。しかし、これもまた、Nはまったく知らなかった。顔を合わせたときに「来なかったね」と言われて、初めて経緯を知ったのだ。このときも「確かにあなたの声だった」と言われたそうだ。
それから二十数年、三度目は、まだ無いそうだ。
ただ、「どうもドッペルゲンガーがいるらしい」という思いが、頭の隅に今もあると言う。
蝋燭三十四本目、吹き消します。