第三十九話 ひとつもらおうかと……
第三十八話のAが、25年以上前に体験した話である。
その夜Aは、アパートの自室で、壁に背中を預け本を読んでいた。向かいにテレビがあったが、消してある。
と、視界の端に動くものが入ってきた。白い、マルチーズのような小型犬だった。
玄関も閉めたはずだし、窓も開けていない。「なぜ犬が?」と思っているところに、右手に別の気配を感じた。
そちら側には押し入れがある。襖は閉めてあるが、その奥を覗うように、中年の男が立っていた。両手をポケットに入れ、上体を倒し、押し入れの下段辺りを、じっと見つめている。
Aはぎょっとした。犬だって入ってくるはずない部屋に、なぜ見知らぬ男が、気配も感じさせずに入って来られたのか。
「な、何してるんですか!」
なんとか声を出すと、男はそのままの姿勢で答えた。
「いや、ひとつふたつ、もらおうかと思って」
何を? Aは思ったが、さっと頭に浮かんだのは、石だった。Aは鉱物が好きで、部屋に飾り切れない石は押し入れに入れてあった。そしてそこには、少し前に新潟県糸魚川市の海岸で拾ってきたヒスイもいくつか含まれていた。Aは咄嗟にヒスイのことだと思った。
「ダメですよ、そんなの!」
恐怖を抑えて言うと、男の姿は消えてしまった。いつの間にか犬もいない。
しばらく呆然としていたAだが、我に返り、押し入れにしまってある鉱物を確認してみたが、無くなったものはなかったそうだ。
もし、石を譲っていたら、どうなったのか? それは今もわからない。
三十九本目の蝋燭、吹き消します。