第十三話 お礼のきのこ
この話は、少々酷い描写もあるので、苦手な方は読まないでください。怖い話ではありませんが。
前回に続き、山小屋での話である。ある晩、マイタケの天ぷらが食卓に上った。
「お礼のきのこ?」
毎年働きに来ているベテランスタッフYがおかみさんに聞くと「そうだよ」との返事。
「お礼のきのこって、なんですか?」
私が尋ねると、「後で教えてやる」とのことだった。
食事が終わり、Yは、お礼のきのこについて話してくれた。
私が働いた山小屋の近辺には、他に5軒の山小屋があった。6軒で水源の掃除をしたり、なにか事があれば協力したりしている。
「もう何年も前の話だけどね」と、Yは語り始めた。
6軒のうち1軒の山小屋の脇に、小さなキャンプ場があった。「山小屋に泊まるのではなく、テントを張りたい」という登山者は、たまにいる。
父と母と娘の3人の親子が、テントを張りたいと申し出た。「やめたほうがいい」と、山小屋の主人は止めた。と言うのも、台風が近づいているとの予報があったからだ。けれど親子はテントを買ったばかりで、初めての親子キャンプが目的で山に登ってきたらしい。どうしてもテントをと聞かないので、「危険を感じたら、すぐに小屋に移ること」という条件で、テントを張ることを許した。
風を避けるため、大きな木の根元にテントは張られた。それが災いした。
強風により、大木が折れ、倒れてしまったのだ。テントを直撃。親子3人は帰らぬ人となった。
もちろん、警察や自衛隊も動くが、遺体をヘリポートに運ぶのは山小屋の主人たちだった。テントの中には母娘と父親が、頭と足を互い違いにして、寝袋に入り横になっていたという。倒木の衝撃だろう、娘の顔と母親の顔は、互いにめり込んでしまっていた。それを引きはがし、担架に乗せる。
運んでいる途中、母親の脳が、ずるりと落ちた。仕事柄、何度も遭難者や滑落者の遺体をみている山小屋主人たちも、思わず目を反らした。ただひとりだけ、落ちた脳を拾い、頭に戻した者がいた。私が働いていた山小屋の主人である。それ以来、他の山小屋の人たちから一目置かれるようになったそうだ。
酷い事故だったが、不思議なことに、次の年から倒れた木の株に、大きなマイタケが生えたと言う。6軒で分けられるほどの、たくさんのマイタケだ。
「きっと、あの親子のお礼だろう」
そう言って、毎年6軒で分け合うことになったそうだ。
「ごちそうさまでした」と、私は手を合わせた。
十三本目の蝋燭は、手を合わせて吹き消そう。
第十二話 山の上の未確認飛行物体
専門学校を卒業してすぐのことだが、1シーズンだけ、とある山小屋でアルバイトをしたことがある。S山とH岳に挟まれた湿原地帯にある山小屋で、5月の初めにやって来たときは、まだ雪がかなり残っていた。水芭蕉の花が咲いているのはこのころで、
夏が来て思い出す水芭蕉の姿は、巨大な葉っぱである。
蛍の時期を迎えるころには、スタッフはすっかり仲良くなっていた。ひとつの部屋に集まっておしゃべりをしたり、いっしょに仕事終わりの散歩をしたりするのが常となっていた。
ある晩、蛍を見ようと、4人ほどでぶらぶらと湿原に出た。蛍はよく飛んでいて、我々の目を楽しませてくれた。
「あれ、蛍?」
ひとりが、S山のほうを見て言った。その指は、山頂よりも上を指している。
蛍がそんな高いところを飛ぶはずがないし、飛んでいたとしても、か弱い光がこちらまで届くはずもない。
しかし、たしかに小さな光が三つほど浮いていた。点滅していないし、蛍ではないことは確かだ。色も白っぽい。
「ヘリ?」
夜になってヘリコプターが飛ぶことは、あまりない。それに、山の上の光は動きがおかしかった。
まっすぐに飛んでいない。S山の上を、くねくねと曲がった楕円を描くような飛び方だ。三つの光が、それぞれバラバラに動いている。
「人魂だったりして」
私がそう言ったとたん、光はパッと消えてしまった。三つとも同時に。
「UFOだ、UFOだ」と笑いながら小屋に戻り、おかみさんにその話をしたのだが、とくに驚きはしなかった。
「S山の上は、よく飛んでるみたいだよ。〇〇小屋のご主人はよく見ていて、何度もテレビ局に取材されてるよ」
おかみさんの話に、我々は驚いた。どうやらUFOを見たらしいという興奮で盛り上がった。見たのがひとりのときではなかったということが、妙に嬉しかった。
結局見たのはそれっきりだった。宇宙よりの飛行物体かどうかは、我々には判断のしようがない。なにかの自然現象かもしれないが、珍しいものを見たことには変わりないので、私は満足している。
十二本目、吹き消します。
第十一話 自分を見下ろす
もうひとつ、友人Mの体験談を思い出した。
Mは山好きで、若いころはひとりでも登山に出掛けていた。
山岳ガイドの仕事もしたことのあるUだが、命の危険にさらされたこともあったそうだ。
とある山を、ひとりで登っていたときのこと。Mの水筒は空っぽになってしまっていた。
「慌てることはない。何度も来ている山だ。もう少し行けば水場がある」
そう思っていたUだったが、山肌が崩れたのだろう、目当ての水場は潰れていた。
「これはマズいな……」
喉はかなり渇いている。早急に水を確保しなければならない。山男の感で、水場があるであろう方向に向かう。登山道ではない。藪漕ぎだ。どこまでも続く茂みを、ガサガサとかき分けて進む。
と、Mは、おかしなことに気がついた。藪漕ぎをしている登山者を見ている。宙に浮かび、見下ろしているようだ。そして、茂みをかき分けて進んでいる登山者は……自分だった。
「俺は、俺を見ているのか?」
そう思ったとき、頬にポツンと雫が当たるのを感じた。
雨だーーと思った瞬間、景色が変わった。地面すれすれの視点で、熊笹の根元を見ている。Mは倒れていたのだ。
どうやら気絶していたらしい。雨のおかげで、気がついたようだ。まさに恵みの雨である。
起き上がり、また藪を漕ぎ、なんとか水場を見つけ、事なきを得たと言う。
「あれが世に言う『幽体離脱』だったんじゃないかな?」
おそらくそうだろうと、私も思う。
十一本目の蝋燭を吹き消そう。
第十話 父の間取り図
友人Mが、家を建て直すときのことである。
Mは学生のころ、父親を突然に亡くした。彼の父は小さな会社の社長だったので、Mはわかないながらも一所懸命調べたり勉強したりして、会社を畳んだそうだ。
もともと商才のあったMは、父親とは全く別の道でだが、順調に商売を軌道に乗せた。古くなった家を建て直すことにしたのは40前だったか。
生まれ育った家を壊すのは、なかなかに思うところ、感じ入るところがあるそうだ。
新しい家の間取りも決まり、取り壊す日も決まり、家の整理をしていたときのことだ。亡き父の遺品から、家の間取り図が出てきたそうだ。
遺品を整理することは、これまでにもあった。けれども、このタイミングで出てきた間取り図は、亡くなった父親からのメッセージではないだろうか?
Mも「父に『お前もこういう年になったか』と言われた気がしたよ」と言っていた。
Mの父親は、嬉しかったのだと思う。
十本目の蝋燭は、微笑みながら吹き消そう。
第九話 身代りの犬
祖母の話。
祖母は心臓が悪かったそうだ。私が物心つくころには、すっかり元気なイメージしかないが、頭髪は真っ白であった。ということは、40代前半にはすでに白かったのだろう。病気の影響かもしれない。
祖母は「エコ」という名の犬を飼っていた。私もうっすらと記憶にある。茶色と黒の斑の雑種だったか。性別は覚えていないが、シュッとした顔立ちだった気がする。
犬の躾にはうるさい人で、我が家ではエコの後も犬を飼ったが、家に上げることをひどく嫌った。強風や雷に怯えようとも、家に入れることを嫌い、なんとか外の小屋に戻そうとするので、他の家族と何度も衝突したほどである。本当は犬が嫌いなのではないかと思うほどだが、たまに散歩には連れていくし、なによりエコを飼っていたのだから、嫌いなわけではないらしい。
私は覚えていないが、祖母の病状が悪くなったことがあったそうだ。「今夜が山です」と医師に言われたらしい。
その晩、祖母は夢を見たと言う。エコが吠えている夢だ。幼いころに聞いた話なので、どういう風に吠えていたのか、どう話してくれたのかは覚えていない。
「夢の中でエコがねぇ、ワンワン、ワンワンって、吠えてたんだよ」
そう話してくれたのは覚えている。
父や母から聞いた話と合わせてみると、どうもエコは、祖母が一番危ない状態を脱したその日、口から血を吐いて死んでいたらしい。
「きっとエコが、身代りになってくれたんだよ」
そう話してくれたのは、動物好きの母だった。
祖母は祖母なりにエコを愛していて、エコも祖母が大好きだったのだろう。不思議な話ではあるが、犬ならそういうこともあるだろうと、どこかそう不思議でもない気もしている。
九本目の蝋燭を吹き消します。
第八話 煙
当時、できて間もないプラネタリウムに就職した友人Oから聞いた話。スタッフの間では「なにかいる」という実しやかに囁かれていた。そういった話はどこにでもあるもので、多くは噂話の域を出ないが、頭のどこかに残っていれば、あれもこれも霊の仕業に思えてしまうもの。
だが、Oの話は、そう言って片付けてしまえるのだろうか?
プラネタリウム上映中は、当然、灯りを消す。上映中、トイレに立ったり、気分が悪くなったりする人がいないか目を配るのも、スタッフの仕事だ。
と、ある座席の上に煙が漂っている。
タバコだ。
そう思ったOは、注意しにその座席に近づいた。けれど、そこには誰もいない。
プラネタリウム番組にはクイズも組み込まれていて、座席についているボタンで回答するシステムになっており、どこが空席でどこが客のいる席かわかるらしい。煙が漂っていた席は、確かに空席だった。
この煙は何人ものスタッフが目撃しており、注意に向かうものの、やはり空席なのだという。
煙の正体は不明だが、当然のことながら、プラネタリウムは煙が漂っていてはおかしい場所である。
蝋燭八本目。吹き消したときに昇る煙は、怪異ではありませぬ。
第七話 どこから来た?
ユリ・ゲラーという人がいる。スプーン曲げや、止まってしまった時計を動かして、一躍「超能力者」として一世を風靡した人である。彼が日本で人気絶頂だったころの話。
私の友人Aの話である。彼女は当時、短大に入り、ひとり暮らしを始めたばかりだった。ユリ・ゲラーの特番が、頻繁に放映されているころで、その夜も彼はテレビに映っていた。
「では、テレビの前の皆さんも、スプーンや、動かなくなった時計を用意してください」
番組終盤の恒例である。ユリ・ゲラーがパワーを送るので、スプーンを手にした人は「曲がれ!」と念じ、時計を用意した人は「動け!」と念じる。このコーナーが始まると、テレビ局にはじゃんじゃん電話がかかってきて「スプーンが曲がりました!」「時計が動きました!」との報告がなされる。会場がどよめく中、「また次回をお楽しみに!」と締めくくられる。
Aもスプーンを片手に「曲がれ! 曲がれ!」と、一心不乱に念じていた。
ガタガタッ!
突然、物音がした。窓からである。Aの部屋はアパートの2階で、ベランダはない。人が立つにはちょっと困難であるが、布団は干せるので不可能ではない。
恐る恐るカーテンを開けるA。すると……
ニャ~~~ッ!
どこから来たのか、猫がいた。それも、網戸にしがみついた状態で。
Aは、それはそれは驚いたが、猫は網戸の中ほどでどうすることもできないでいる。仕方ないので窓を開け、なんとか猫を剥がし、抱いて玄関から外に出してやったそうだ。
猫はどこから来たのか? なぜ突然網戸なのか?
これはもう、ユリ・ゲラーのパワーが誤作動して、スプーンではなく空間を捻じ曲げたに違いない。
冗談は脇によけても、不思議と言えば不思議な話である。
はい、蝋燭七本目。