第十八話 鳩の危機

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 数年前のことである。小雨の降る中、傘を差し、池袋駅を目指して歩いていた。交差点で信号待ち。長めの横断歩道を渡れば、もう東口にたどり着く。
 ぼうっと前方を見ていると、はらはらと落ちてくるものが視界に入った。傘をずらして見上げると、信号の上に2羽のカラスと1羽の鳩がいる。いや、鳩は「いる」のではない。左の翼を1羽のカラスに、嘴の付け根あたりをもう1羽のカラスにくわえられ、宗教画で見るのような磔の格好にされていた。私以外の人々も気づき、息を飲む。
 そういう状態になるまで、どれほどいたぶられたのだろう? 鳩は力を失い、なんの抵抗もするでなく、翼を広げられていた。
 はらはらと羽が落ちる。
「酷い……」と、私は思った。自然界は弱肉強食。ヒエラルキーの上にいる生物は、下にいる生物を捕食するのは当たり前だ。しかし、その前にいたぶって遊ぶ姿を見ると、どうしても嫌悪感を覚えてしまう。かと言って、人混みの中で上に石を投げるわけにもいかない。
 そんなことを思いながら残酷な光景を見ていると、鳩と目があった気がした。その瞬間、私は次の行動に移る心構えができた。
 鳩は最後の力を振り絞り、カラスの拘束を振り切った。まっすぐに、私目がけて飛んでくる。私は視界を確保しつつ、腰を屈める。鳩が私の傘すれすれを飛び過ぎたことを確認。そして、追ってくる2羽のカラス目がけて、広げたままの傘を突き出した。
 カラスの目には、突然地面が迫ってきたように見えたのではないだろうか。「うわっ!」という感じで身を翻す。
 カラスに追い打ちをかけたりはしない。鳩が逃げるには、充分な時間を稼いだ。それが、鳩が私に伝えた作戦だと思う。
 カラスは完全に鳩を見失い、しぶしぶ飛び去った。私は鳩を探した。可能なら、連れ帰って傷の手当てをしようと思ったのだが、鳩のほうでは、そこまでは望んでいなかったようだ。

 十八本目、吹き消します。

 

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第十七話 幻の広場

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 私は生来の方向音痴で、子どものころ、何度迷子になったかわからない。そのころの話なので、はたして不思議なのかどうかもあやふやである。
 小学校低学年のころの話だ。家から少し行ったところに「地獄谷」と呼ばれる場所があった。無論、正式な名称ではない。今思い返せば、ちっとも地獄ではなかった。清水が湧き、小川の流れるところだ。小川の近くに生えていたのは葦だったろうか? ともかく、背の高い植物が、わりと広い範囲に茂っていた。小川を挟んで、葦の原の向こう側は雑木林の斜面。子どもたちはこの地獄谷で、ザリガニを釣ったり、カブトムシを獲ったりして遊んでいた。
 ある日、私はいつものように友達と地獄谷へ行った。長袖を着ていたので、秋だろうと思う。草原を掻き分け、雑木林を散策すると、金網があった。やんちゃな子どもとって金網は、乗り越える遊具でしかない。上に有刺鉄線が巻きついていようとも、器用に乗り越える。
 たぶん、何度か乗り越えたことのある金網だ。向こう側には、大きなクワガタがいそうな気がするのである。その日も乗り越えたのだが、そこは雑木林ではなく、乾いた土がむき出しの丘だった。子どもたちが斜面を、段ボールをお尻に敷いて滑っている。知った顔はなかったが、それは地獄谷では普通のことだ。三つの小学校の学区の境目に位置しているので、いっしょに行った子以外は、みんな知らない子である。なので、不思議にも思わず、その辺に落ちていた段ボールを拾い、滑って遊んだ。何度も何度も滑った。夕方になるまで、私たちは歓声と土埃を上げて滑った。
 数日後、そのときの友達と「またあそこへ行こう」ということになり、金網を乗り越えた。しかしそこは雑木林の続きで、土の丘には出なかった。何十人もの子供が遊んでいた丘なのに、探せども探せども、見つからない。雑木林は遊ぶには充分な広さだが、丘を見失うほど広大ではない。
 小さかった私たちは「見つけられなかった」ということで納得し、その日は諦めた。その後、何度か探してみたが、たどり着くことは二度となかった。
 子どものときには、そうした場所があるのかもしれない、と思うより他にない。

 十七本目の蝋燭、吹き消します。 

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第十六話 ムカデの気配

f:id:tsukumo9951:20200504133628j:plain 友人Aは若いころ、設計事務所で働いていた。その事務所で手掛けていた、都内のオープン前のレストランでの話である。
 作業も大詰めを迎え、翌日に消防のチェックを控えていた。照明など、まだ仕上がっていない部分があり、Aは友人Fに手伝いを求め、徹夜で作業をしていた。
 この現場では、前々からいやな気配を感じていたとAは言う。午前2時ごろになると、厨房から、巨大なムカデのようなものが来る。姿は見えない。例えて言うならば、ムカデとか蛇とか、長い筒状のもののようだと。それもただの筒ではなく、得体のしれない細かなものが集まって群れを成し、ムカデのような形態を作り出しているかのような感じなのだそうだ。
 ふたりはそれぞれ脚立に上り、作業をしていた。FもAから気配のことは聞いていたが、こういうことは体験者でなければ、その感じはわからない。
 午前2時。ふたりで作業していても、それは来た。
「あっ!」と、ふたりは同時に声をあげた。「ザザーッ」とも、「モワーッ」ともつかない感じが、脚立の間を通って行く。
 Fは脚立の上にいた。Aは脚立から下りた状態だった。それがいけなかったのかはわからない。巨大なムカデを成している細かなものの一部が自分に向かって飛んでくるのを、Aは感じた。
 Fに助けを求めようとしたが、うまく声が出ない。細かなものに巻きつかれ、立ったまま金縛り状態になっていた。
 絞り出すような微かなAの声に応えたFのセリフは、ひどかった。
「うわっ! マジか? 来んなよ!」
 ただでさえ金縛りなのに、凍りつく言葉である。
 ムカデの気配が消えれば、体は元通り動く。とにもかくにも、ふたりは急いで作業を終わらせた。
 レストランは無事に開業したが、いくらもたたぬうちに閉店した。大きな通り沿いの店だったので、すぐに違う店が入ったが、長くは続かなかった。イタリアン、フレンチ、洋食といろんな店が入ったが、どれも長続きしなかったそうだ。今、その場所になにがあるのかは知らないとAは言う。

 十六本目の蝋燭、吹き消します。

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第十五話 ケーキと日本刀

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 私はお菓子教室に通っていたことがる。小さな教室で、登録しておくと教室の日程と作るお菓子の連絡が来るので、参加したいと思えば申し込みをする。定員は各回4名で、早い者勝ちというシステムだった。なので、毎回集まる顔ぶれも違うため、簡単な自己紹介から始まるのが常だった。
 ある日、教室に向かう私の頭の中は、なぜか日本刀のことでいっぱいだった。剣道の心得があるので、刀にも多少は興味がある。とは言え詳しいわけではなく、知っている銘など数えるほどだ。
 そんな私が、頭を刀でいっぱいにしている。わずかしかない知識をかき集め、刀についての質問をされたらどう答えるか、シミュレーションばかりしている。
「戦国時代の刀と、江戸時代の刀は、なにか違いがあるんですか?」
 薄力粉と卵を混ぜながら、そんな質問がされるとは、到底思えないのだが。
 教室が始まり、各自自己紹介をしていく。最後に、若い女性が名乗った。
同田貫です。よろしくお願いします」
「え? ご先祖は、刀関係ですか?」
 私は思わず尋ねてしまった。
 私の剣道の先生は熊本出身であった。摸擬刀をひと振り持っていたのだが、その刀が「同田貫(どうたぬき)」であった。熊本は同田貫の本拠地である。
「はい、そうです」と、にっこり笑う。刀の知識のある人が、私と同じような反応をするのだろう。慣れたようすだった。
「ああ、なるほど」と、私は得心がいった。この人と会うから、頭の中が刀でいっぱいだったのだ。
 刀は時として不思議な力を宿すらしい。私の意識が引っ張られたとしても、さほど珍しいことでもないだろう。
 昨今は『刀剣乱舞』の大ヒットで、刀の知識豊富な人が非常に増えたようだ。同田貫さんは名乗るたびに「えっ! あの同田貫!?」と言われているのではないだろうか?
 ちなみに、後から知ったことだが『子連れ狼』の拝一刀の刀は同田貫だそうだ。

 手許に刀があれば蝋燭の芯を斬って火を消すところだが、ないので普通に吹き消すことにしよう。
 これで十五本目。

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第十四話 葬儀の夢

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 同僚の女性Kから聞いた話である。
 就職と同時に故郷を離れ、東京で暮らし、結婚し、子ども小学生になった。そんなある日、Kの父親が体調を崩し、入院。容態は思わしくなく、危篤状態になること数度。その度に子どもを連れ帰省していたが、Kの父親はなんとか危機を脱していた。
 それは幸運なことであったが、度々子どもに学校を休ませ、新幹線を使っての帰省はかなりたいへんなことだ。あるとき腹をくくり「余程のことがない限り、帰省しない」と決めた。
 そんなある晩、夢を見た。父の葬儀の夢だ。祭壇に飾られた花、遺影、線香の香り、うつむく家族と親戚ーー。それはリアルな夢だったと言う。
 翌朝の電話で、Kは父親が息を引き取ったことを知る。
「ああ、お父さん、教えてくれたんだな……」
 そう思ったそうだ。
「虫の知らせ」というものだろう。霊体験など持ち合わせないKが、唯一体験した不思議な話である。

 十四本目の蝋燭を吹き消します。 

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第十三話 お礼のきのこ

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 この話は、少々酷い描写もあるので、苦手な方は読まないでください。怖い話ではありませんが。
 前回に続き、山小屋での話である。ある晩、マイタケの天ぷらが食卓に上った。
「お礼のきのこ?」
 毎年働きに来ているベテランスタッフYがおかみさんに聞くと「そうだよ」との返事。
「お礼のきのこって、なんですか?」
 私が尋ねると、「後で教えてやる」とのことだった。
 食事が終わり、Yは、お礼のきのこについて話してくれた。

 私が働いた山小屋の近辺には、他に5軒の山小屋があった。6軒で水源の掃除をしたり、なにか事があれば協力したりしている。
「もう何年も前の話だけどね」と、Yは語り始めた。
 6軒のうち1軒の山小屋の脇に、小さなキャンプ場があった。「山小屋に泊まるのではなく、テントを張りたい」という登山者は、たまにいる。
 父と母と娘の3人の親子が、テントを張りたいと申し出た。「やめたほうがいい」と、山小屋の主人は止めた。と言うのも、台風が近づいているとの予報があったからだ。けれど親子はテントを買ったばかりで、初めての親子キャンプが目的で山に登ってきたらしい。どうしてもテントをと聞かないので、「危険を感じたら、すぐに小屋に移ること」という条件で、テントを張ることを許した。
 風を避けるため、大きな木の根元にテントは張られた。それが災いした。
 強風により、大木が折れ、倒れてしまったのだ。テントを直撃。親子3人は帰らぬ人となった。
 もちろん、警察や自衛隊も動くが、遺体をヘリポートに運ぶのは山小屋の主人たちだった。テントの中には母娘と父親が、頭と足を互い違いにして、寝袋に入り横になっていたという。倒木の衝撃だろう、娘の顔と母親の顔は、互いにめり込んでしまっていた。それを引きはがし、担架に乗せる。
 運んでいる途中、母親の脳が、ずるりと落ちた。仕事柄、何度も遭難者や滑落者の遺体をみている山小屋主人たちも、思わず目を反らした。ただひとりだけ、落ちた脳を拾い、頭に戻した者がいた。私が働いていた山小屋の主人である。それ以来、他の山小屋の人たちから一目置かれるようになったそうだ。
 酷い事故だったが、不思議なことに、次の年から倒れた木の株に、大きなマイタケが生えたと言う。6軒で分けられるほどの、たくさんのマイタケだ。
「きっと、あの親子のお礼だろう」
 そう言って、毎年6軒で分け合うことになったそうだ。
「ごちそうさまでした」と、私は手を合わせた。

 十三本目の蝋燭は、手を合わせて吹き消そう。

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第十二話 山の上の未確認飛行物体

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 専門学校を卒業してすぐのことだが、1シーズンだけ、とある山小屋でアルバイトをしたことがある。S山とH岳に挟まれた湿原地帯にある山小屋で、5月の初めにやって来たときは、まだ雪がかなり残っていた。水芭蕉の花が咲いているのはこのころで、
夏が来て思い出す水芭蕉の姿は、巨大な葉っぱである。
 蛍の時期を迎えるころには、スタッフはすっかり仲良くなっていた。ひとつの部屋に集まっておしゃべりをしたり、いっしょに仕事終わりの散歩をしたりするのが常となっていた。
 ある晩、蛍を見ようと、4人ほどでぶらぶらと湿原に出た。蛍はよく飛んでいて、我々の目を楽しませてくれた。
「あれ、蛍?」
 ひとりが、S山のほうを見て言った。その指は、山頂よりも上を指している。
 蛍がそんな高いところを飛ぶはずがないし、飛んでいたとしても、か弱い光がこちらまで届くはずもない。
 しかし、たしかに小さな光が三つほど浮いていた。点滅していないし、蛍ではないことは確かだ。色も白っぽい。
「ヘリ?」
 夜になってヘリコプターが飛ぶことは、あまりない。それに、山の上の光は動きがおかしかった。
 まっすぐに飛んでいない。S山の上を、くねくねと曲がった楕円を描くような飛び方だ。三つの光が、それぞれバラバラに動いている。
「人魂だったりして」
 私がそう言ったとたん、光はパッと消えてしまった。三つとも同時に。
「UFOだ、UFOだ」と笑いながら小屋に戻り、おかみさんにその話をしたのだが、とくに驚きはしなかった。
「S山の上は、よく飛んでるみたいだよ。〇〇小屋のご主人はよく見ていて、何度もテレビ局に取材されてるよ」
 おかみさんの話に、我々は驚いた。どうやらUFOを見たらしいという興奮で盛り上がった。見たのがひとりのときではなかったということが、妙に嬉しかった。
 結局見たのはそれっきりだった。宇宙よりの飛行物体かどうかは、我々には判断のしようがない。なにかの自然現象かもしれないが、珍しいものを見たことには変わりないので、私は満足している。

 十二本目、吹き消します。

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