第二十話 幼年期の千里眼

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 同じ職場で働く年上の男性Kに、なにか怪談めいた体験はないか尋ねたところ、「ない、ない!」と即答だった。「お化けなんか見たら逃げちゃうよ」と笑う。しかし、しばらくして「そういえば……」と話してくれた。

 Kは小学校に上がるくらいまでの間、人の死期がわかったと言う。顔見知りの人でも、テレビに映る人でも、見たとたんに、死期の近い人はわかったそうだ。
「あ、この人もうすぐ死ぬよ」
 子ども故、事の重大さがわかっておらず、感じたままを口にしてしまう。初めのうちは、母親も気にも留めず「あら、どうして死んじゃうの?」などと軽い気持ちで問い返していた。
「車にぶつかって、死んじゃうの」
 テレビ俳優はそれから間もなく、交通事故で亡くなったと言う。
 テレビの向こう側の人ならば、まだよかった。関係性が、ほぼ無いからだ。しかし、これがご近所ならばどうか。
「Sさんちのおばあちゃん、もうすぐ死んじゃうよ」
 こんなことを近所で言われては、母親としても体裁が悪い。
「〇月〇日に、死んじゃうんだ」
 日付まで口にする。そしてそれは、的中してしまう。
 K曰く「百発百中だった」そうだ。
 そのころKは、よく空を飛んでいる夢を見たそうだ。歩くほどの速度で、屋根の上を飛ぶ。上から見ているので、髪の薄い人もわかる。
「あの人、ハゲなんだよ」
 子どもの無邪気さ故、そんなことも口にしてしまう。
「そんなことを言ってはいけません! 特に、人様の死を口にしてはいけません!」
 ある日Kは、きつく母親に叱られたそうだ。当時のKには、なんで自分が叱られなければならないのか、理解できなかったそうだ。
「大きくなるうちに、わかんなくなっちゃったけどね。そのころは、不思議とか、怖いとかって、ぜんぜん思わなかったな」
 私が怪談の水を向けたので、久しぶりに思い出したそうだ。

 二十本目の蝋燭を吹き消します。

 

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第十九話 猫の死神

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 もう30年ほど前の話である。
 我が家の辺りに、白い野良猫がいた。
 ある日白猫は、近くの川に落ちてしまった。今でこそ整備され、そこそこきれいな川になったが、当時はまだドブ川に近かった。危険防止のため、フェンスが張られている。白猫はどうやら他の野良猫に追いかけられ、フェンスの上に飛び乗ったものの、足を滑らせて落ちてしまったようだ。
 フェンスの上から川までは、4メートルほどの高さがある。猫なら、無傷で着地できるだろう。ただ、その後が問題だ。川の両側はコンクリートブロックで固められていた。そのため、爪を立てても登ることができないのだ。私は梯子を下ろし、ヘドロまみれになった猫を抱き、助け上げた。母がバスタオルで包んで受け取り、うちの風呂でヘドロを洗い流してやった。おそらく、もともとはどこかで飼われていた猫だったのだろう。大人しく洗われた。
 そんなことがあって、白猫は、私と母によく懐いた。「シロ」という安直な名前をつけ、私たちもかわいがった。
 後日、シロに息子が1匹いることがわかった。オッドアイの白猫で、長いしっぽは先のほうでかぎ型に折れ曲がっている。すでに母猫よりも大きく育っている。この子は、シロが野良猫になってから産んだのかもしれない。あまり人に懐かなかった。
「この子は、お宅の猫ですか?」
 ある日、母がシロたちを見ていると、見知らぬ中年男性が声をかけてきた。男性はシロの息子のほうを見ている。
「飼ってるわけじゃないですけど、かわいがってます」
 そう答える母にふうんと頷いてから、妙なことを言った。
「この子、もう長くないですよ」
 驚いた母は、否定する。
「そんなことないですよ。さっきも母猫の分まで餌食べてましたから」
「いや、長くないと思うな」
 そう言って、男性は立ち去った。
 それから三日後、シロの息子は、車に轢かれて死んでしまった。
 もしも病気であったなら、見る人が見れば「長くない」と分かるのかもしれない。しかし、事故で死ぬことが分かるのは、いったいどういうことだろう?
 その後、母がその男性を見ることはなかったという。
 そして、これは偶然だろうけれど、シロも半年後に車に轢かれて死んでしまった。

 十九本目の蝋燭、吹き消します。

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第十八話 鳩の危機

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 数年前のことである。小雨の降る中、傘を差し、池袋駅を目指して歩いていた。交差点で信号待ち。長めの横断歩道を渡れば、もう東口にたどり着く。
 ぼうっと前方を見ていると、はらはらと落ちてくるものが視界に入った。傘をずらして見上げると、信号の上に2羽のカラスと1羽の鳩がいる。いや、鳩は「いる」のではない。左の翼を1羽のカラスに、嘴の付け根あたりをもう1羽のカラスにくわえられ、宗教画で見るのような磔の格好にされていた。私以外の人々も気づき、息を飲む。
 そういう状態になるまで、どれほどいたぶられたのだろう? 鳩は力を失い、なんの抵抗もするでなく、翼を広げられていた。
 はらはらと羽が落ちる。
「酷い……」と、私は思った。自然界は弱肉強食。ヒエラルキーの上にいる生物は、下にいる生物を捕食するのは当たり前だ。しかし、その前にいたぶって遊ぶ姿を見ると、どうしても嫌悪感を覚えてしまう。かと言って、人混みの中で上に石を投げるわけにもいかない。
 そんなことを思いながら残酷な光景を見ていると、鳩と目があった気がした。その瞬間、私は次の行動に移る心構えができた。
 鳩は最後の力を振り絞り、カラスの拘束を振り切った。まっすぐに、私目がけて飛んでくる。私は視界を確保しつつ、腰を屈める。鳩が私の傘すれすれを飛び過ぎたことを確認。そして、追ってくる2羽のカラス目がけて、広げたままの傘を突き出した。
 カラスの目には、突然地面が迫ってきたように見えたのではないだろうか。「うわっ!」という感じで身を翻す。
 カラスに追い打ちをかけたりはしない。鳩が逃げるには、充分な時間を稼いだ。それが、鳩が私に伝えた作戦だと思う。
 カラスは完全に鳩を見失い、しぶしぶ飛び去った。私は鳩を探した。可能なら、連れ帰って傷の手当てをしようと思ったのだが、鳩のほうでは、そこまでは望んでいなかったようだ。

 十八本目、吹き消します。

 

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第十七話 幻の広場

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 私は生来の方向音痴で、子どものころ、何度迷子になったかわからない。そのころの話なので、はたして不思議なのかどうかもあやふやである。
 小学校低学年のころの話だ。家から少し行ったところに「地獄谷」と呼ばれる場所があった。無論、正式な名称ではない。今思い返せば、ちっとも地獄ではなかった。清水が湧き、小川の流れるところだ。小川の近くに生えていたのは葦だったろうか? ともかく、背の高い植物が、わりと広い範囲に茂っていた。小川を挟んで、葦の原の向こう側は雑木林の斜面。子どもたちはこの地獄谷で、ザリガニを釣ったり、カブトムシを獲ったりして遊んでいた。
 ある日、私はいつものように友達と地獄谷へ行った。長袖を着ていたので、秋だろうと思う。草原を掻き分け、雑木林を散策すると、金網があった。やんちゃな子どもとって金網は、乗り越える遊具でしかない。上に有刺鉄線が巻きついていようとも、器用に乗り越える。
 たぶん、何度か乗り越えたことのある金網だ。向こう側には、大きなクワガタがいそうな気がするのである。その日も乗り越えたのだが、そこは雑木林ではなく、乾いた土がむき出しの丘だった。子どもたちが斜面を、段ボールをお尻に敷いて滑っている。知った顔はなかったが、それは地獄谷では普通のことだ。三つの小学校の学区の境目に位置しているので、いっしょに行った子以外は、みんな知らない子である。なので、不思議にも思わず、その辺に落ちていた段ボールを拾い、滑って遊んだ。何度も何度も滑った。夕方になるまで、私たちは歓声と土埃を上げて滑った。
 数日後、そのときの友達と「またあそこへ行こう」ということになり、金網を乗り越えた。しかしそこは雑木林の続きで、土の丘には出なかった。何十人もの子供が遊んでいた丘なのに、探せども探せども、見つからない。雑木林は遊ぶには充分な広さだが、丘を見失うほど広大ではない。
 小さかった私たちは「見つけられなかった」ということで納得し、その日は諦めた。その後、何度か探してみたが、たどり着くことは二度となかった。
 子どものときには、そうした場所があるのかもしれない、と思うより他にない。

 十七本目の蝋燭、吹き消します。 

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第十六話 ムカデの気配

f:id:tsukumo9951:20200504133628j:plain 友人Aは若いころ、設計事務所で働いていた。その事務所で手掛けていた、都内のオープン前のレストランでの話である。
 作業も大詰めを迎え、翌日に消防のチェックを控えていた。照明など、まだ仕上がっていない部分があり、Aは友人Fに手伝いを求め、徹夜で作業をしていた。
 この現場では、前々からいやな気配を感じていたとAは言う。午前2時ごろになると、厨房から、巨大なムカデのようなものが来る。姿は見えない。例えて言うならば、ムカデとか蛇とか、長い筒状のもののようだと。それもただの筒ではなく、得体のしれない細かなものが集まって群れを成し、ムカデのような形態を作り出しているかのような感じなのだそうだ。
 ふたりはそれぞれ脚立に上り、作業をしていた。FもAから気配のことは聞いていたが、こういうことは体験者でなければ、その感じはわからない。
 午前2時。ふたりで作業していても、それは来た。
「あっ!」と、ふたりは同時に声をあげた。「ザザーッ」とも、「モワーッ」ともつかない感じが、脚立の間を通って行く。
 Fは脚立の上にいた。Aは脚立から下りた状態だった。それがいけなかったのかはわからない。巨大なムカデを成している細かなものの一部が自分に向かって飛んでくるのを、Aは感じた。
 Fに助けを求めようとしたが、うまく声が出ない。細かなものに巻きつかれ、立ったまま金縛り状態になっていた。
 絞り出すような微かなAの声に応えたFのセリフは、ひどかった。
「うわっ! マジか? 来んなよ!」
 ただでさえ金縛りなのに、凍りつく言葉である。
 ムカデの気配が消えれば、体は元通り動く。とにもかくにも、ふたりは急いで作業を終わらせた。
 レストランは無事に開業したが、いくらもたたぬうちに閉店した。大きな通り沿いの店だったので、すぐに違う店が入ったが、長くは続かなかった。イタリアン、フレンチ、洋食といろんな店が入ったが、どれも長続きしなかったそうだ。今、その場所になにがあるのかは知らないとAは言う。

 十六本目の蝋燭、吹き消します。

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第十五話 ケーキと日本刀

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 私はお菓子教室に通っていたことがる。小さな教室で、登録しておくと教室の日程と作るお菓子の連絡が来るので、参加したいと思えば申し込みをする。定員は各回4名で、早い者勝ちというシステムだった。なので、毎回集まる顔ぶれも違うため、簡単な自己紹介から始まるのが常だった。
 ある日、教室に向かう私の頭の中は、なぜか日本刀のことでいっぱいだった。剣道の心得があるので、刀にも多少は興味がある。とは言え詳しいわけではなく、知っている銘など数えるほどだ。
 そんな私が、頭を刀でいっぱいにしている。わずかしかない知識をかき集め、刀についての質問をされたらどう答えるか、シミュレーションばかりしている。
「戦国時代の刀と、江戸時代の刀は、なにか違いがあるんですか?」
 薄力粉と卵を混ぜながら、そんな質問がされるとは、到底思えないのだが。
 教室が始まり、各自自己紹介をしていく。最後に、若い女性が名乗った。
同田貫です。よろしくお願いします」
「え? ご先祖は、刀関係ですか?」
 私は思わず尋ねてしまった。
 私の剣道の先生は熊本出身であった。摸擬刀をひと振り持っていたのだが、その刀が「同田貫(どうたぬき)」であった。熊本は同田貫の本拠地である。
「はい、そうです」と、にっこり笑う。刀の知識のある人が、私と同じような反応をするのだろう。慣れたようすだった。
「ああ、なるほど」と、私は得心がいった。この人と会うから、頭の中が刀でいっぱいだったのだ。
 刀は時として不思議な力を宿すらしい。私の意識が引っ張られたとしても、さほど珍しいことでもないだろう。
 昨今は『刀剣乱舞』の大ヒットで、刀の知識豊富な人が非常に増えたようだ。同田貫さんは名乗るたびに「えっ! あの同田貫!?」と言われているのではないだろうか?
 ちなみに、後から知ったことだが『子連れ狼』の拝一刀の刀は同田貫だそうだ。

 手許に刀があれば蝋燭の芯を斬って火を消すところだが、ないので普通に吹き消すことにしよう。
 これで十五本目。

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第十四話 葬儀の夢

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 同僚の女性Kから聞いた話である。
 就職と同時に故郷を離れ、東京で暮らし、結婚し、子ども小学生になった。そんなある日、Kの父親が体調を崩し、入院。容態は思わしくなく、危篤状態になること数度。その度に子どもを連れ帰省していたが、Kの父親はなんとか危機を脱していた。
 それは幸運なことであったが、度々子どもに学校を休ませ、新幹線を使っての帰省はかなりたいへんなことだ。あるとき腹をくくり「余程のことがない限り、帰省しない」と決めた。
 そんなある晩、夢を見た。父の葬儀の夢だ。祭壇に飾られた花、遺影、線香の香り、うつむく家族と親戚ーー。それはリアルな夢だったと言う。
 翌朝の電話で、Kは父親が息を引き取ったことを知る。
「ああ、お父さん、教えてくれたんだな……」
 そう思ったそうだ。
「虫の知らせ」というものだろう。霊体験など持ち合わせないKが、唯一体験した不思議な話である。

 十四本目の蝋燭を吹き消します。 

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