第四話 予知夢

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 亡くなった母は、たまに予知夢を見た。と言っても「本人曰く」という前置きつきである。母の話を聞くと「夢に見た通り」というわけではなく、現実に近い夢を見るようだった。
 弟が腕を骨折した日の明け方、母は弟の友達が怪我をする夢を見たと。「だから、よくないことが起こる気がしてたのよ」と言う。これを予知夢と言っていいものかわからないが、母は「自分の夢はときどき当たる」と思っていた。
 予知夢が遺伝するものか知らないが、じつは私もたまに予知夢を見る。ただ残念なことに、事故の予知夢を見て回避できたとか、テストの問題を夢に見ていい点が取れたとか、そういうことは、まったくない。どうでもいい夢が現実でも起こる。
「あっ! この会話、夢で見た!」とか、「この場所、夢で見た!」とかいう程度のことで、脳の錯覚だと言われてしまえばそれまでのこと。
 けれど「予知夢かもしれない」という思いは、どこかで捨てきれないものがある。
 私はこれまで一度だけ競馬に行ったことがある。その前日に「2-5で勝つ!」という夢を見た。なので「2-5の馬券を買う!」と思い競馬場へ行ったのだが、着いてから、ハタと気づいた。
 いったい、何レースの2-5を買えばいいのか。
 初心者の悲しさで、そこまで気が回らなかった。とりあえず馬券を買うときは必ず2-5を買ったけれど、ギャンブラーの血は流れていないようで、200円、300円という、じつに慎ましい勝負である。2-5が当たったレースもあったが、それはもう「下手な鉄砲」というものだ。私の予知夢はそんなものである。
 一番最近だと、芸人のサンシャイン池崎さんがけん玉を練習する夢を見たら、翌日テレビで「けん玉を練習中」と言っていた。これは的中なのだが、「だから?」と言われてしまえばそれまでの予知夢である。
 一方、私の知り合いで「体育館にたくさんの遺体が並べられている夢を見たら、その日、電車の脱線事故があった」という人もいる。
 ……予知夢とは、なんなのだろうか? 悲しい現実を避けられないのであれば、まるで意味がない。私みたいにどうでもいいことしか予知できないなら、幸せだ。所詮、与太話なのだから。ただ、大きな悲劇を知りつつも何もできないのは、さぞかし辛かろうと思う。
 四本目の蝋燭、吹き消します。

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